自分を最短で無価値にするということ

介護支援専門員 
WEBデザイナー
介護事業所ICTコンサルタント
産業ケアマネ

さんかくしおハッカ(高畑俊介)

「いい経営者とは、自分を最短で無価値にする人だと思うんです。」

先日、沖縄大学の樋口耕太郎先生のお話を聞く機会がありました。
そのとき、先生の口から出たこの言葉が、心の奥に深く残りました。
一瞬、意味がわからず戸惑いましたが、時間が経つにつれて、じわじわと腑に落ちていきました。

“無価値になる”という表現は、少し刺激的です。
けれど、それは「価値を失う」ということではなく、
“自分がいなくてもまわる仕組みをつくる”という意味でした。

この言葉をきっかけに、私は「支援とは何か」「チームを育てるとはどういうことか」について、あらためて考えるようになりました。

私たちは、誰かの役に立ちたいと願いながら働いています。
介護や福祉の仕事に就いている人なら、なおさらその想いは強いと思います。
「あなたがいてくれて助かった」と言われることが、
疲れた心を支えてくれる瞬間でもあります。

けれど、その言葉に救われるほど、
知らないうちに“必要とされること”に依存していくことがあります。

「いなくなったら困る人でありたい」
「自分がいないとこのチームはまわらない」
そんな気持ちが、少しずつ強くなっていく。

それは決して悪いことではありません。
むしろ、責任感と優しさの表れでもあります。
けれど、その状態が長く続くと、支援やマネジメントが“依存の構造”を生み出してしまうことがあります。

介護の現場では、よくこんな言葉を耳にします。
「この人は私が見ていないと危ない」
「私がいないと、この家はまわらない」

もちろん、そう感じる場面はあります。
でも、その思いが強くなりすぎると、
いつのまにか“相手の人生”を自分の手の中に握りしめてしまう。

それは“支援”のようでいて、
少しだけ“支配”に近づいていく瞬間かもしれません。

私たちは相手を助けたいと思いながら、
相手の自立や主体性を奪ってしまうことがあるのです。

樋口先生の言葉にある「無価値にする」という行為は、
無責任に手を離すことではありません。
むしろ、深い信頼の上に成り立つ行為です。

相手の力を信じて、未来を託す勇気。
部下や後輩を信じて、任せる覚悟。
利用者の選択を尊重して、見守る強さ。

そうした「手放す行為」こそが、
本当に人を育て、チームを強くするのだと思います。

支配ではなく信頼でつながる関係。
それが“自分を最短で無価値にする”ということの本質なのでしょう。

介護の現場には、経験豊富なベテラン職員が多くいます。
だからこそ、若いスタッフを見ていると、つい口や手を出してしまう。
「そのやり方じゃ危ないよ」「こうした方が早いよ」
その一言が、相手の成長の機会を奪ってしまうこともあります。

人を育てるとは、“支えること”と“信じて任せること”のバランスです。
前者ばかりでは、相手は依存してしまう。
後者ばかりでは、孤立してしまう。

だからこそ、リーダーには「待つ力」が必要です。
失敗する姿を見ても、口を出さずに見守る。
その過程の中で、相手が自分で考え、立ち上がる力を育てていく。

これは、マネジメントにも、ケアにも共通する考え方だと思います。

介護やマネジメントの仕事をしていると、
「あなたがいないと困る」と言われることに喜びを感じる場面が多いと思います。
でも、もしもいつか「あなたがいなくても大丈夫」と言われたとしたら、
それは寂しさと同時に、誇りでもあるのではないでしょうか。

自分がいなくても回るチーム。
自分が離れても続く支援。
その状態こそが、安心であり、成熟であり、
“支え合う”という関係の完成形なのだと思います。

思えば、私たちは“存在意義”を探しながら働いています。
けれど、本当の意味での存在意義とは、
自分がいなくなったあとに、誰かが幸せでいられる状態をつくることではないでしょうか。

価値を手放すことは、信頼を渡すこと。
役割を終えることは、バトンをつなぐこと。
その循環の中に、仕事の尊さがあるように思います。

「自分を最短で無価値にすること」
この言葉は、一見すると矛盾をはらんでいます。
けれど、よく考えると、それは「誰かの中に自分を残す」ということなのかもしれません。

介護の仕事は、まさにそうした営みです。
誰かの時間の中に、自分を少しだけ置かせてもらう。
そして、やがて静かに消えていく。

でも、その関わりが灯のように残り、
次の誰かを照らしていくのだとしたら。


それこそが、いちばん価値のある“無価値”なのだと思います。

さんかくしおハッカ