ケアマネジャーを紡ぐ会福岡支部長
株式会社イレイト 代表取締役 一般社団法人九州介護協会 代表理事
佐々木 雅尚
私がこのタイトルにした理由は、介護業界で働く代表者はもっと経営者であるべきだと思ったからです。平成14年(2002年)に介護業界に携わってきて丸23年、気づいたことをお伝えできればと思います。
その前に私が介護業界に入ったきっかけを話しします。
北九州の大学卒業後、京都に本社を置く先物取引と証券を扱う会社に就職しました。時代は氷河期、仕事があるだけでもありがたいと、相手を蹴落としてまで必死に仕事してきました。
ある日、ふと何のために仕事をしているのだろう? 喜ばれる仕事で楽しい仕事なのか? 自分に問いかけておりました。
直ぐに決心して仕事をやめ、10万入っている通帳だけ持って博多に行きました。(当時、酒井法子の博多弁がかわいくて博多に行こうと単純な理由です)実家は広島ですが、実家にいると甘えるので実家を離れました。
先ずは生活をする為に、昼は定食屋で働き夜は中洲の黒服にて生計をたてました。介護業界に多い女性(年上)を扱う経験はこの時に勉強できたと思っております。
夜働いてたお店の女性に、「男は昼間稼いでなんぼ、昼間の仕事で稼ぐ男が真の男」と言われていた言葉に何か今の自分の仕事に誇りを持てず昼の仕事に転職を決意しました。

訪問入浴との出会い
私が昼の会社に選んだのは当時一番勢いのある人材派遣の会社で、評価に応じ給与が上がるシステムで稼げる男になろうと野心を抱いておりました。配属になったのが介護事業の立ち上げの部署でした。本社から訪問入浴車が一台送られてきて申請から求人募集、営業、現場となんでもこなしてきました。
訪問入浴で利用者様から「ありがとう、本当に気持ちよかった」と言われた言葉が胸に刺さり、本当の“ありがとう”を理解したように思います。
それから“介護は究極のサービス事業”と思い必死で事業所を大きくしていきました。
当時はとにかくなんでも出来る事をしてあらゆる経験をさせていただきました。
また大手の会社から引き抜かれ組織を学び、地場の会社にも良いポジションで仕事をさせていただきました。
この現場の経験、訪問入浴との出会いによるありがとうの意味を知って今に活かせている事が多くあります。
東京の若手経営者との出会い
介護業界だけにいると気づきがあまりなく東京に行った際に、自分より若い人が介護事業をやっていたり、異業種で頑張っている同世代をみると自分の視野の狭さ、考え方の小さに恥ずかしさを覚え、自分でやりたいという気持ちが芽生えるようになりました。
彼らとの出会いが独立するきっかけとなりました。ちょうど35歳の年でした。
何がしたいわけではなく経営者になるが先ず一歩でした。
自分が出来る事は何か? 人は経験したことは直ぐできるので、先ずは居宅介護支援事業を始め自分が出来る事を肉付けしていこうと会社を設立しました。
居宅介護事業所を開設して良い時期、悪い時期もありましたが、介護コンサルを続けていた為、会社は大きな利益はないが順調に推移していきました。私は当初から経営者になるのが目的でしたのでどのようにしたら会社経営が上手く出来るか考えてきました。
残念ながら介護業界で働く経営者は一人、二人……十人と減ってきました。
「人がいないから」「報酬単価が上がらないから」「会社が悪い」「誰誰のせいだ」とよく耳にします。はたして、それだけが理由でしょうか?
「自分自身経営者として、社員を育てるとか、いろいろな人の意見を聞いたり、自分の成長や知識向上、人脈構築に努力したか」と問いたい。

運営者ではなく経営者として
今、頑張って会社経営している人もスタートラインは一緒です。
何が違うかとういうと経営者としての考え方です。運営者になっていませんか?
いつまでも自分が現場にいないと回らないようであれば経営者とは言えません。運営者です。運営者は、介護保険法に合わせ、決められたルール(基準や定員)に沿って事業所を運営するものです。別名管理者です。
介護業界だけの経営者と付き合うと傷のなめあいになります。世の中、儲けている人は星の数ほどいます。
私は経営者として成功してきた人の失敗談や、努力してきたことを聞くことによって自分でも出来る事がある、しなければならないと鼓舞することが大事なのでは思っております。

未来を語るには介護業界以外の人たち、特に経営者として経営者同士関わる事が大切だと思います。
ただの交流会にはそれなりの人、5万円の交流会は今まで付き合ったことのない層との出会いもあります。
どれだけ出会いにお金をかけるか、自分がすごいと思った人と過ごせるか、同じ時間これから人生を費やしていくのであれば貴方ならどう選択しますか?
これからは経営者としての1歩をさらに踏み出してください。








