ケアマネジャーを紡ぐ会 事務局長
コンサレッジ株式会社 代表取締役
太田 耕一郎
プロローグ:「ケアマネジャーは孤独だ」
2011年、太田が管理者として勤めた東京都江戸川区の3時間リハデイ(リハビリデイサービス)は、当時133店舗以上ある中で、**年間稼働率1位を獲得していた**。
そのリハデイの利用者さんからこう聞かれた。
**「太田さん、1年間で3人ケアマネが変わるんですよ。これって普通ですか?」**
その言葉が、太田の心に引っかかった。「ケアマネの仕事って、そんなに人が入れ替わるほど大変なのか」という疑問が生まれたのだ。
そういえば、その方を担当する、女性社長が経営するその事業所では、毎回営業に行くたびに「新しいケアマネジャーを紹介してもらう」という現象が起きていた。
転機:2012年、小岩の街での出会い
その頃、太田はリハデイ管理者だったが、平日は6時に仕事が終わり、土日は休みだった。自由な時間が多かったため、毎日、街で飲み歩いていた。
不思議なことに、**月の中旬から下旬になると、同じ人に何度も出会う**ことに気づいた。それが、あのケアマネジャー——**宮﨑直樹**だった。
「なぜ、この人は月の中下旬にしか出会わないんだろう?」
その疑問が、後に重大な意味を持つようになる。
第一章:2015年4月——塚田農場での運命の対話
2015年3月、太田はリハデイを辞め、4月に会社を立ち上げた。
2013年頃から、副業でデイサービスの稼働率向上セミナーを自主開催していた太田は、
※このセミナーが後に本社にバレて退職することとなる(結果、バレてよかった)
コンサルティング会社として独立した時に、思い切って宮﨑直樹に連絡した。
**「ちょっと一回時間くれねーか」**
宮﨑直樹は即座に応じた。
**「いいよ」**
2人は東船橋駅北口の塚田農場(とっくに閉店)で会った。
そこでの対話は、太田の人生を変えるものだった。
秘密の暴露
太田が聞いた。
**「なんで世の中のケアマネがみんな疲弊してバーンアウトしてるのに、お前は楽してるんだ?」**
宮﨑直樹は笑って答えた。
**「そんなの簡単だよ。月の中旬までに仕事を終わらせれば、中下旬は毎日飲み行けるじゃねーか」**
太田は驚いた。その瞬間、小岩の街で月の中下旬に何度も会った理由が、すべて理解できた。
**「やり方どうやってんだ?」**
宮﨑直樹は、その秘密を教えてくれた——**「段取り8割、実行2割」**という、ケアマネジャーの仕事を根本から変えるマネジメント方法だった。
東船橋駅の塚田農場(現在閉店)での食事の席で、店員に「俺金あるからさ、ここで一番高いものを持ってきてよ」と言う宮﨑直樹の姿勢そのものが、彼の哲学を物語っていた——**効率良く、ストレスなく、人生を楽しむ**という選択肢が、実は存在するんだ、ということを。
第二章:当初の狙いから、真の使命へ
太田と宮﨑直樹の当初の狙いはシンプルだった。
「このやり方をケアマネ全体に教えてあげよう。そうすれば、独立起業を促進できて、太田と宮﨑直樹のコンサル契約が増える」
宮﨑直樹がWord原稿を書き、太田がそれをPowerPointで可視化した**「ストレス溜めず効率良く仕事する方法」**——この鉄板セミナーができあがった。
しかし、2015年6月からセミナーを始めると、状況が急速に変わった。
セミナーの冒頭では、いつも同じ質問が投げかけられた。
**「当月の仕事が当月に終わってる人、挙手してください」**
その時、会場には絶望的な光景が広がった。
**わずか1%の人しか手を上げなかった。**
99%のケアマネジャーが、毎月仕事を引きずっていた。
その光景を見た時、太田の心に革命が起きた。
**「あ、これはビジネスの話じゃないんだ。99%のケアマネの『苦しさ』を救う話なんだ」**
起業支援の話は消えた。代わりに、新しい使命が生まれた——
**「ケアマネの仕事が当月に終わるようなやり方を、日本全国に広めることが最優先だ」**
第三章:毎週朝7時、全国ツアーの始まり
2015年9月、「一般社団法人日本単独居宅介護支援事業所会」が正式に立ち上がった。屋号は「ケアマネジャーを紡ぐ会」だ。
そこからは、淡々とした実行の日々が始まった。
**毎週、火曜日の朝7時に、介護屋みらいに集合。**
太田と宮﨑直樹は、会議を行い、戦略を練っていた。
そして、**月に1回の周期で全国を巡回**した——
ケアマネからはセミナー代は徴収できないからセミナー参加費「0」円で開催。
だが経費は掛かる。
告知するFAX代、セミナー会場費、交通費(ガソリン代、高速代)、昼食代……
そこから
2人の「自腹ツアー」が始まった。
– 東京
– 埼玉
– 千葉
– 神奈川
– 群馬
– 茨城
– 栃木
ときには
-高松
-愛知
-大阪
最初の2,3年は会場探しが大変だった……
「一度手続きに来てくれと」言われ
「行けるはず無い」どうしたら事前に訪問せずに利用できるかの交渉の連続だった。
やがて顔見知りになることができ2回目からは「あっ!紡ぐ会さんね」と言われる
ようになった。
**毎週朝7時。毎月全国を回る。そのルーチンが4,5年続いた**
第四章:「台風の目」——宮﨑直樹という存在
セミナーを続けていく中で、ケアマネジャーたちが集まり始めた。
参加者1人の時もあったが、少ないからこそ開催しよう!
最初は太田と宮﨑直樹の2人で立ち上げた。その後、2人が加わって4人の理事に。さらにセミナーを重ねるごとに、人が集まり、やがて**理事が10人ほどに達した**。
なぜ人が集まったのか。
**「宮﨑直樹は台風の目だった」**
それは、単なる比喩ではない。
宮﨑直樹が説くセミナーの内容と、その行動が**完全に一致していた**のだ。
「ストレス溜めず効率良く仕事する方法」と説く講師が、**実際にケアプランを持ちながら、現役ケアマネジャーとして働いていた**。
世の中には、ケアマネ資格を持っているだけで、実際のケアプランを持たないセミナー講師がたくさんいる。だが、宮﨑直樹は違った。
**言葉と行動が一致している人間だった。言行一致**
だから説得力があった。だから人が集まった。だから、セミナーに参加したケアマネジャーたちは、本当に「当月の仕事が当月に終わるようになった」。
そして彼らは、その経験に賛同し、理事として宮﨑直樹の想いを一緒に紡ぐようになったのだ。
さらに、宮﨑直樹は市議会議員としても活動していた。その議員活動も、「ケアマネジャーを紡ぐ会」のバックボーンとなり、スピーチ力の修練の場となっていた。
第五章:真摯な自己認識——「自分の能力を一番分かっていた人」
興味深いことに、宮﨑直樹は常にこう言っていた——
**「俺、採用見る目ねんだよ。佐藤寛子さんの見る目は抜群で、俺見る目ないんだ」**
リハデイの時代からの知り合いの佐藤寛子さんは、いつの間にか介護屋みらいで働くようになっていた。
しかし、その言葉の背景には、もっと深い自己認識があった。
自分の弱みを知り、人で補う戦略
太田が感じたことは、こうだった——
**「自分の能力を把握して、自分の能力で足りないところは人で補うということを、実践している人だなと感じました」**
具体的には:
– **「学がないから」** — 自分には学歴・教養がないことを認識していた
※学はないけどキレモノだった(笑)
– **だから早稲田卒の介護業界の人を採用したり**
– **採用のことは佐藤寛子さんに任せたり**
宮﨑直樹は、自分の弱みをしっかり認識し、そこを別の能力を持つ人間で補うという戦略を、実行していたのだ。
太田がそこから感じたのは——
**「自分の能力を確実に判断できていた。いや、自分が一番自分のことを分かっていた人なんじゃないかなって思った」**
「自分を知る者の強さ」
これは、経営者として、リーダーとしての最高の資質かもしれない。
多くのリーダーは、自分の能力を過大評価するか、あるいは自分の弱みから目を背ける。だが宮﨑直樹は違った。
– 自分ができないことは「できない」と言える
– だからこそ、最適な人材を周囲に集められる
– その結果として、チームとしての力が最大化される
これが「台風の目」としての求心力の本質だったのではないか。
自分を正確に知る者だからこそ、他者の能力を正確に評価でき、その能力を正しい場所に配置できる。その誠実さと透明性が、周囲の人間を引きつけるのだ。
太田は、佐藤寛子さんの話を聞けば、宮﨑直樹のことがもっと分かるだろう、と示唆した。寛子さんは、そうした宮﨑直樹の「自分を知る強さ」を、一番間近で見ていた人物だからだ。
エピローグ:2024年4月29日
2024年4月29日、宮﨑直樹は47歳で生涯を全うした。
毎週朝7時に介護屋みらいに集合することも、月に1回全国を巡回することも、夜のセミナーも全てが終わった。
だが、その営みは消えなかった。
10人の理事メンバーたちは、宮﨑直樹の遺志を継ぎ、今も活動を続けている。その姿を見たい人は、ネットで「ケアマネジャーを紡ぐ会」を検索すれば、彼らの現在の活動を見ることができる。
最後に——「紡ぐ」の意味
なぜ、この組織は「紡ぐ会」と名付けられたのか。
**「綿を紡いで糸になり、織りなす布がいつか誰かの傷をかばうかもしれない」**
ケアマネジャーを「糸」に見立て、その一本一本を、宮﨑直樹という「台風の目」を中心に紡いでいく——
孤独だったケアマネジャーたちを、仲間の輪に紡いでいく——
99%の人たちが抱えていた「月をまたいだ仕事の負担」を軽くし、その人たちが、利用者さんと向き合う時間を取り戻させる——
**それが、11年間にわたって、毎週朝7時に、全国を巡回して、セミナーを開き続けた、太田耕一郎と宮﨑直樹の物語。**
――ありがとう
お陰で死生観が変わった。
生きたいように生きる。
1拠点生活、そして2拠点生活から3拠点生活を始まるきっかけになった。
宮﨑直樹の分まで楽しむぜよ……

参考資料:宮﨑直樹のアメブロより
宮﨑直樹のブログ『ケアマネジャー × 市議会議員 × 社長』には、「ケアマネジャーを紡ぐ会」の活動や、その背景にある想いが数多く綴られている。
**「社長は孤独だ」という記事では、こう述べられている:**
> 社長は孤独です。社長は孤独だと言うと、「そんなの被害妄想だ」と言われます。すでに、それが孤独の始まりです。誰もわかってくれない孤独感。会社に居場所がないと、働いてる人も感じることがあるかと思いますが、社長の居場所なんて会社にないです。なぜなら、自分の存在がみんなへのストレスになるから。そんなことを言うと、「そんなの被害妄想だ」と言われます。やっぱり孤独です。
>
> 紡ぐ会はそんな社長の孤独も癒してくれます。一緒に楽しみながら、ケアマネしましょう。
このメッセージには、「ケアマネジャーを紡ぐ会」が、単なるスキルアップセミナーではなく、**人間的な孤独と向き合う場**であったことが表現されている。
詳細は以下のアメブロをご参照ください:
– https://ameblo.jp/kaigoyamirai/page-222.html







